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“About Kannonji Temple” 観音寺について

Greeting ようこそ垂坂山観音寺へ

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当山ホームページへようこそお越し下さいました。住職の吉田眞圓でございます。当山はおみくじの創始者であり、開運厄除のご利益が絶大な、元三大師様(慈恵大師良源)がご本尊の天台宗寺院です。
身も心も疲れている人が多い今の世で当山は気軽にお参り頂き、笑顔でお帰り頂ける様なお寺にしたいと思い、天台宗開祖の伝教大師様のお言葉である「一隅を照らす」「亡己利他」の精神で日々お寺作りをしております。このホームページを見て少しでも興味を持っていただき、お参りに来てもらえたら幸いです。
当山、約1100年の歴史に触れ、佛様達とご縁を結んでみませんか。ご来山お待ちしております。 

元三慈恵大師をまつる天台宗の古刹

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歴史

寺の由緒は、若き日の慈恵大師が大乗受戒で伊勢を行脚中、朝明郡の領主舟木良見の帰依寄進をうけ、延長六年(九二八)垂坂山に堂塔を建立。太師自ら刻んだ千手観音像を本尊として安置したと伝えられています。
寺は伊勢天台別院として栄え、最盛期の伽藍の規模は広大で16km四方ともいわれ、垂坂を中心に大膳寺・明願時・如来坊・建長坊・寂禅坊・中の坊・玄性坊・浄光坊・天神堂・薬師堂等の24坊とこれに関係した建物が鵤・茂福・東阿倉川・東坂部・山之一色・小杉・平津・中村等に散在した。
しかし天正三年(一五七五)織田信長の兵火にかかり、諸堂ことごとく炎上してしまい、現在では寺名や地名にその名残が留まるのみである。
その後荒廃していた観音寺を嘆いた桑名藩野村増右衛門は藩主松平定重公に再興を願い、藩主の命により元禄四年(一六九一)復興。現在の本堂は昭和45年国宝防災の一環として建立され、現在に至る。

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慈恵大師良源(元三大師)

慈恵大師良源は宇多天皇の皇胤といわれ、延呮十二年(九一二)出生。十二歳のとき比叡山に登り理仙阿じゃ梨について学問を修め、英明なる大師は後に天台座主(比叡山延暦寺住職)となり、天台中興の祖と仰がれたが寛和元年(1985)に示寂、それが正月3日であったため俗に「元三大師」と呼ばれている。
大師七十三歳の折、疫病が流行した。人々が苦しむさまをあわれんだ大師は、降魔の観法を修し、鏡に映った良源の姿は角を生やした鬼の姿であり、この護符は「角大師」「豆(魔滅)大師」と言われ信仰されている。
又、現在日本の神社仏閣で広まっているおみくじはこの元三大師が創始者である。

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<約1100年の歴史>

御本尊に慈恵大師良源をまつり、「垂坂山のお大師さん」「元三さん」として地域の信仰を集めており、約1100年の歴史がある天台の古刹です。

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<自然>

郊外の自然豊かな地に建ち、四季折々の花の香りや鳥のさえずりを楽しんでいただけます。
垂坂山からは、清水が湧き、ふくろうも住んでいます。

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<霊場>

・東海四十九薬師霊場  第十番札所
・東海近畿地蔵霊場   第一番札所
・伊勢西国観音霊場   第二十六番札所

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